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新年の誓い
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしく。さて、昨年からつづけている肥満解消はどうなったかをお教えしよう。まず体重だが、あの運命の日、10月25日の人間ドッグの日、66.4キロといわれたのだが、それから体重を意識し毎日をすごし、一念発起で体重計を買ったのが11月22日であった。使い方を覚え、記録を取り始めたのが24日であった。その日の記録を見ると、体重が64.1キロ、BMIが24.2、体脂肪率が22.9、筋肉量が46.9、内臓脂肪が14.0、基礎代謝が1337、体内年齢が56歳だった。この体重計は優れもので、きっちりとこうした記録がはかれるようになっている。MUJIで買ったのだが、慣れると大変参考になる。おまけにマニュアルがしっかりとしていて、解説付きである。その解説を読むと、まあ、体重はふつうであるが、誤差は+-200グラムとある。BMIは身長と体重から割り出す肥満度。これもこの機械に登録してあるので自動的に割り出される。私の24.2というのは、このマニュアルから18.5~25未満は普通とある。つまり、私はこの時点で肥満ではないということになる。次の体脂肪率だが、これは体に占める脂肪の割合とある。私の22.9 は60歳代としては+標準だそうだ。まあ良いのだろう。筋肉量は骨格筋、平骨筋(内臓など)と水分を含んだ値という。46.9キロというのは65歳の男性としてはこれも基準内となるようだ。まあ、まあかな。体脂肪率と筋肉量から体型を判定すると、マニュアルに寄れば標準となる。つまり肥満ではないということだ。なになに?次の内臓脂肪は腹腔内の内臓の隙間につく脂肪で、つまりこれが肥満の問題点でもあるのだが、生活習慣病の起因になりやすいものだそうだ。私の14.0という値は「やや過剰」の範囲で、少し問題になりそうなところだろうか。さて、基礎代謝だが、エネルギーの使われる量をいい、一日の代謝量が算出されている。私の1337は、マニュアルによれば標準ということになる。

これらの数字は記録を取り始めた日のものだが、さて、約一か月たって、どのようになっただろうか。12月31日であるが、体重は63.8キロ、BMIは24.0、体脂肪率は21.9、筋肉量は47.2、内臓脂肪率は14.0基礎代謝が1344、体内年齢が55歳となった。比べると、数字は全体に改善されているように思える。細かく見ると、体重0.3キロ減、BMI0.2減、体脂肪率1.0減、筋肉量0.3キロ増、内脂肪率変らず、基礎代謝7増、体内年齢1歳減。まあよくなっているようだ。体重はこの期間の最低が63.3キロで最高は64.5キロだ。誤差の範囲をこえて増減している。増減の理由として前日の食事がおおきいのではないかとおもっている。つまり、フグの宴に参加した翌日64.5キロを記録したのだ。その前日は63.6キロだったので0.9キロ増だ。僅か一日でこれだけ変化した。食事が大事だ。

この12月28日に病院での検診があったのだが、体重は着衣で64.5キロ(無着衣では63.5キロ相当)となり良かったのであるが、血糖値が113、総コレステロールと悪玉コレステロールはともに基準を超えていた。食べ過ぎだ。12月はいろいろと宴会が多いのでやむを得ない。だから来年は体重を考えつつ、これらの数値にも注意を払って行こう。それにはやはり運動が大切だ。ギャラリー往復を歩くようにしたい。今は行き道だけだから、帰りも歩こうとおもっている。新年の誓いだ。

以上、簡単なご報告まで。今年も見捨てなきようお願いします。よろしく。
# by chateau_briand | 2012-01-01 00:21
道をきわめる
肥満解消への旅として毎日ギャラリーまで歩いている。いまでは、肥満解消のためというよりも、歩く楽しみになっている。その道は溜池から赤坂の裏通りを歩き、赤坂見附から青山通りを西へ行く。西というのは、東京ではあまり使う言い方ではないが、赤坂見附から西というのは、渋谷から厚木への方向となる。この青山通りは、東京オリンピックの時に拡張されたもので、玉電が三軒茶屋まで通っていたのを覚えている。東京オリンピックの時は16歳で、この赤坂辺りに住んでいたので、当時のことには詳しいのだ。赤坂見附の交差点が立体交差になり、その向うに高速道路が眺められ、近代都市風の景観になり驚いたものだ。赤坂の街も待合が軒を並べ、きもの姿の芸妓さんたちが行き交い、黒塀からは三味線の音が聞こえ、いまでは想像できないが、それはとても粋で艶やか
な雰囲気が漂っていた。

この青山通りだが片側4車線あり、もちろん中央分離帯もあり、歩道は幅5メートルほどで街路樹が両側に植わっている東京でも珍しい大きな並木道になっている。私は、この通りを歩いて青山一丁目へと毎朝向かう。裏道の抜け道を通って行く方法もあるのだが、いろいろと思考錯誤を重ね、やはり、この青山通りの舗道を歩くのが一番の近道ということに気がついた。というのは、抜け道は急な坂が多く、確かに距離は短いものの負担が大きいのだ。距離は長いものの、勾配が緩やかなほうが、負担も少なく結果的に早く行けるようだ。ゆっくりと坂道を登ることは周りの景色も楽しめる。だから楽しみながら歩くことで疲労感も少ないのではないだろうか。また、歩きながら、いろいろと考えることにも繋がっている。とにかくあれこれ考えるようになった。人間は考える葦といった哲学者がいたが、私はさしずめ、「考える足」かも。

ここで、この道の風景を皆さまに紹介したい。私は赤坂見附から渋谷方面へ左側の歩道を歩くのだが、見附からまず右手にサントリービルがある。前は美術館があったが、六本木へ移ったのでので、今は何があるのだろうか。昔、まだ若いころに広告営業の仕事でこのビルに来ていたことを思い出す。その隣は鹿島建設の本社ビルだ。確か最近建て替えたうだったが。そのビルに並んで、今とても大きなビルの建設現場となっている。ビルは太い鉄骨を組み立てていて、もう5階部分に差し掛かっている。あまりに太い骨組みなので、高層ビルが建つのかと思う。それにしても、シカゴにいたころに見た建築現場とはかなりの差があるのには驚く。シカゴのほうは細い鉄骨を組み上げていた。それが100階建だったりするから、万が一にも地震が来たら総崩れになるだろう。細い通りをはさんでその隣には豊川稲荷が眺められる。この稲荷社も古くからある名社だ。そしてさらに豊川稲荷に続き信号のある交差点を挟んで赤坂御用地になる。元は徳川紀州家の藩邸があったところで、維新後ここには、東宮御所や、宮邸、迎賓館などが作られた。石垣に植え込みが塀となり、その塀の向こうは背の高い木々が生茂っている様が見える。その木々の上にはその日の天気によるが、青や灰色、時には白い空が望める。毎日違う風景となって私の目を楽しませてくれるのだ。ちなみにこの塀はおおよそ1000メートルほどあるだろうか、飽きない景色だ。

ところで、ここにある東宮御所には皇太子さんと雅子妃がお住みになっている。勿論、まだお目にかかったことはないが、一つ心配していることがある。私は歩くので地下鉄にのることは少ないのだが、雨の日は地下鉄を利用する。すると社内の吊り広告がいやでも目に入る。週刊誌が多いのだが、その中吊り広告のキャッチがとても品がない。品というかどぎつくあくどいように思えて、いつも嫌悪感を覚える。特に雅子さんのことではこのようなひどい表現をつかうことは本当に許されるのであろうかと疑問だ。地下鉄当局者はこのようなコピーをつける週刊誌の広告掲載を良く許可できるものだ。倫理感が欠如しているのだろうか。単にお金を払えば何をしてもよいということであれば社会の規範はどうなるのであろうか。それに表現の自由というのは政治的な意味でということではなかったのであろうか。個人攻撃は表現の自由ではなくまるでテロのようなものだ。これらの週刊誌は有名な出版社で、これまで数々の立派な書籍を出版してきた。私も尊敬をしていた。その出版社がこのようなあくどい週刊誌を発行するというのは一体どうしてなのだろうか。
疑問が次々にわいてくる。これも歩くことの効果なのだろうか。

といったことを考えていると、やがて赤坂御用地の終わりが見える。そこは青山一丁目の交差点で、青山通りと外苑東通りが交差している。その交差点には交番があり、その反対側の角がホンダの本社ビルで、そこをぬけると外車販売店があり、じつはそこは「銀行」の支店だったところだが、そこを過ぎると蕎麦屋があり、その角を左に曲がると「酉福」が見える。以上、簡単ですが、街角紹介までに。

# by chateau_briand | 2011-12-13 11:50
肥満解消への旅
人間ドッグに通っている。渋谷の近くにあるPL病院だ。もう15年になるが、年2回定期的に行く。つまり30回のドッグ検診を受けたことになるのだ。最近、1カ月ほど前だが、ドッグ検診で、「貴方はメタボ」と言われた。ショックを受けた。な、な、なんと腹囲が87cmあるというのだ。こ、こ、これには驚いた。ぜ、ぜ、ぜ、前回は84cmだったので3cm膨れたことになる。おまけに血圧も130になった。いつも110から120だったのに。体重も増えた。66キロを越えたのだ。肥満率は100%を越えているという。血圧を測った時には係の若い女性の看護師に、「いつももっと低いのですが」と恐る恐る申告したところ、「お客様の年齢では普通では」と“冷たく”言われた。なんという言い方でろうか。年齢を持ちだされると抵抗できない。うろたえてしまったが、その後の心電図で異常があったようだ。多分、この“冷たい仕打ち”に衝撃を受けたからではないだろうか。気の弱い自分にもがっかりした。

そこで体重を下げようと一念発起した。体重との挑戦ととらえた。肥満解消への道だ。まず歩くようにしたい。住まいから職場まで歩こう。毎日歩いているつもりでも、つい地下鉄に乗ったりしていた。おまけに階段ではなく、エレベーターやエスカレーターを使ったりもしていた。これでは駄目だ。歩いたり登ったりしなければならない。いや、すべきだ。しかし歩き慣れていないからいきなり歩くと脚を痛める恐れがあるかもしれない。いやいや、そのようなことを恐れるよりも、最初の一歩を進めることが大事だ。一歩が2歩へと進めていけばやがて千里の道を歩めるのだ。まず職場から帰る道を歩いた。全体になだらかな坂になっているので歩きやすいだろうと思ったからだ。歩けた。楽しかった。新しい発見があった。あれ、こんなところにあんな店が。この道は歩きやすいな。あの道は苦手だ。色々あって楽しくなった。次は違うところに挑戦しようとか、思ったりもした。でも何か物足りないような気持ちもあった。やはり、登り坂に挑むべきだろう。ある朝、思い切って朝早くに家を出て職場まで坂を上った。35分ほどだった。汗ばんだ。息が少し上がったようだ。それでも何か達成感があった。素晴らしい。自分を誉めたくなった。すがすがしい朝だった。翌日の朝、体重計に乗るとなんと65キロを切っていた。お、やればできるのだ。翌日も、そのまた翌日も登りに挑んだ。少し足早に歩いた。かかる時間も30分に縮まった。そうしたある朝、25分だった。体重計は64キロちょうどだった。な、な、な、なんと。

すっかり嬉しくなったが、歩くだけではなく食事にも気をつけるようになった。ビールやお酒は飲まないようにした。野菜中心の料理を作るようにした。いろいろと気をつけたのだ。日に日にお腹周りが縮小しているのが分かった。ズボンが入りやすくなり、ベルトをしないとずり落ちそうだ。素晴らしいではないか。だが、ここで実は問題に直面した。というのは、京都である宴会があり、どうしてもそれに出なければならなくなった。迷ったが、これも仕事と割り切りその宴会に出席した。ビールで乾杯、お酒の盃を交わし、料理をぱくつく。以前は、何の問題もなくこなしていたが、その夜は、恐る恐る飲んだ。二次会にも出ず、まっすぐホテルへ戻り、風呂に入って寝た。翌日体重計に乗ろうと思っていたが、あいにくそのホテルには無かったので、これは困ったと思いつつ、朝飯を食べた。お腹が空いていたので少し食べ過ぎた。弱ったまま、東京に戻り、心弱く、少し傷心。

で、翌朝、体重計にのった。む、む、む。目を疑った。「64.9キロ」。残酷。約1キロも体重が増えてしまった。この二日間、食べて、飲んで、歩いていなかった。まことに正直な結果と言える。63キロの目標への旅は終わりがないのであろうか。


# by chateau_briand | 2011-11-22 15:50
青山一丁目の旅
私は、酉福ギャラリーへ行く時に地下鉄の青山一丁目駅を使う。銀座線、半蔵門線、大江戸線があるが、いつもは銀座線に乗る。この駅はちょうど青山一丁目の交差点の下にあり、ホームから改札を通りエスカレータや階段を上って表にでるとそこが交差点で、青山通りと外苑東通りが交差している。その交差点の東北角に赤坂御用地があり、たしか、そこには東宮、秋篠宮の邸があるという。東南にはツインタワーと呼ばれている高層ビルが2棟建っていて、西北には飲食ビルがある。そして西南の角がホンダの本社ビルだ。毎日のようにここを通る。酉福ギャラリーはこのホンダビルを左手に見て青山通りを西へ、渋谷方面へ歩道を歩いて行き、三つめの角に蕎麦屋が。その蕎麦屋とコンビニのセブンイレブンの入っているビルの間を左へ曲がり、3~40メートルほど歩くと左側に前が植え込みになっているグレーの5階建てのビルがみえ、そこの一階にギャラリーがあるのだ。

ほとんど毎日通るが、何日か前のある日、ホンダのビルの横の歩道を歩いていた時のことだ。突然道路に赤色をした大型車が交差点方面から来て、ものすごいスピードで私の歩いていた歩道を横切りホンダビルへと入ってきた。この入り口にはいつも警備員がいて車の通行を規制しつつ歩行者の安全に配慮していた。ところがその日に限って私の通行を止め、大型車の進入を優先させた。危うく轢かれるところだった。車は左側に曲がって新入するので、運転席からは多分私の姿は見えないからだ。私はその警備員に私のいることを無視して車を進入させたことを注意した。当然の行為だ。だが、その警備員は私に全く注意を払わず「大型車を青山通りに留めると渋滞しますので」と答えたのであった。これには驚いた。朝の通勤時から多少時間がずれている時に道路もそんなに込んでいなかったにも拘わらず、しかも歩道に私くらいしか居なかったのだから、車を待たせても何ら問題が生じるとも思えなかった。仮に私が轢かれたらどうするつもりなのだろうか。人よりも車を優先すべきだろうか。良く考えてみると、人がいて車があるのではないだろうか。人が車を買わなければ車は売れないのに。私は昔ホンダの車を運転していた。ホンダの車が好きだったからだ。アメリカ時代はGMを愛好していたのは、アメリカではアメリカの車に乗ろうと決めていたのだ。だから日本に戻ってから最初にホンダのアコードを買った。次にフィットを買った。いずれも満足していた。だが、そのうち東京では車を使うことが稀で、今は車に乗ることはなくなったのだ。

ホンダのこのことがあってからいろいろと思いだした。私の通った立教中学は池袋にあり、やがて東武東上線の志木にある立教高校へと。その志木の手前に、たしか朝霞という駅だったか、ホンダの工場があった。また、その駅の近くに自動車教習所があり、私はその教習所で車の運転を習得した。高校3年のころだった。で、中学だが高校の時だったか、ある時社会実習のような勉強で先生の引率でホンダの工場見学に行ったことを思い出した。工場見学の後、工場の大きな集会場か社員食堂のようなところで会社側の説明会があった。会社の多分技術者のような人が何人かきて我々生徒に車の説明をしたのだ。「この車の最高速度は180キロです」、とか何とか話していたが、友人の一人の生徒が、「知り合いが最近自動車事故でなくなった。法定速度は80キロほどなのに、何故180キロも出せるものを作くるのだ、事故がおきたらどうするのか」と質問したことがあった。確かに安全を考慮するならば、180キロをだすような装置はいらないのではないだろうか。今回の一件から思わず色々と思いだしつつ考えてしまった。

青山一丁目。これは旅の始まりなのか、それとも終わりなのか。旅は必ずしも違う地へ行くことではなく、家を離れることを旅とも言う。その意味で、この青山一丁目という地は私には「旅」に匹敵する旅情があるようだ。

実は、自分の本名は青山光雅というが、青山にてギャラリーを開業したのも何かの縁なのだろうか。自分の本名にはこれまであまり関心がなかった。名前は単なる符号だという意識があったからだろうか。それが、この青山一丁目の出来事で青山という名前に興味を覚えた。ギャラリー開業の1993年以来、ギャラリーに来られる方から時々「青山二郎さんのご関係の方ですか」と聞かれることが多かった。青山二郎さんのことは全く知らなかったので驚いたことがままあった。そのうち、紹介される方があり、その青山二郎の未亡人とギャラリーでお目にかかったことがあった。「青山です」、「青山です」と挨拶を交わしたことを覚えている。残念ながらその方も亡くなったが。

ギャラリーを開いてから、これも紹介される方がいて丹波篠山へ訪れたことがあった。地元の陶芸家の工房へ行ったのだ。工房での打ち合わせを終え、その陶芸家の案内で付近を散策した。あるところで、自分を「青山です」と挨拶したところ、「あの青山さんですか」と問われた。「え、あのというのは」と聞き返すと、「このあたりの城主のですよ」と言う。良く理解できなかったのだが、「私の祖母はここの出身ですが」と言うと、皆「うーん」と妙に納得した様子だった。あとで調べると、この丹波篠山を領していたのは有名(?)な青山播磨守で、あの「番町皿屋敷」の主人公だ。この青山さんは今の青山地域に広大な屋敷を幕府から賜っていたそうで、その由縁でこの青山の地名が生まれたという。なるほど。しかし、私の祖母はこの篠山から青山の家に嫁に行ったので、領主一族とは縁はないと思われる。嫁に行った先が青山だったのだ。しかし、子供のころには、祖母の親戚から毎年、黒豆、松茸がおくられてきたことをいまでは懐かしい。

思わず色々なことを書いてしまったが、これも内なる“旅”と言えるのではないだろうか。一度、自分のルーツを辿ってみたいものだ。
# by chateau_briand | 2011-11-08 10:48
讃岐の金刀比羅さん
10月のある日、縁あって讃岐の金刀比羅宮に参拝した。参拝したというより登ったというべきか。なんでも786段あったの。「なやむ」と読めるので、途中で一段減らすように工夫されて785段になっているとか。何故登ったのか。先日、偶然テレビで田窪恭治さんという方がでていたテレビ番組を見たところ、そこでこの金刀比羅さんの書院で襖絵をかいていることが紹介され、併せてフランスのノルマンディで廃墟になっていた教会の建物を修復しその内部にリンゴの絵を描いたことが紹介されたのだ。金比羅山にはまだいったことがなかったので思い切って行ってみた。

片道1時間ほどかかると言われた。「お土産やさん」のおばさん(失礼)に杖をお貸ししましょうと言われ少し落ち込んだが、転ばぬ先のなんとやらで、その杖を拝借し杖をつきながら一段一段登り始めた。最近、杖ではないがスキーのストックを両手で持って歩くということが流行っている。杖とかストックで身体を支えつつ動かすと両腕の運動効果もあるという。それに歩きやすい。登り始めてみると、その登り階段の両側にいろいろなお店が並んでいた。まだ見る余裕があったということだ。10分ほど登ると目の前に立ちはだかるような急斜面に来た。上を見たくなかった。上を向かず下を見た。足元を見た。これが本当のし(ひ)たむきな姿か。

20分ほどたつと、登りながら歩いているような感覚になってきた。呼吸も落ち着いてきた。その日は地元の人も驚くような快晴で、湿気もなく、涼しくもあった。日ごろの行いが良いのだろうか。恵まれたお天気であった。そうこうするうちに御宮が見えてきた。旭宮という別宮で、その横に道がありそこからさらに登ると本宮に着く。ここまでくればもう9合目だ。本宮に着くと目の前に讃岐が一望できた。
遠くに瀬戸内海があった。大橋も見えた。讃岐は山の国と思っていたが、以外に平野部分が多い。なんでも面積は日本で一番小さな県だと言われているが、平野が多いのでその分広く感じられるのだろうか。その讃岐は明治以降香川県になったが、いまでは「うどん県」と呼ばれるらしい。香川のHPで見た。本当なのだろうか。それほど「うどん」が食べられるという。いたるところにうどん屋がある。

ところで、その田窪さんのことだが、残念ながら「ふすま絵」は公開されていないとかで見られなかった。残念。
# by chateau_briand | 2011-10-22 14:39
ハイデルベルグ(5)完結
それから、見覚えた道を思い出しつつホテルに着いた。着いたところで「明日10時に」というマリアンヌの言葉が脳裏によぎった。はて、10時ということは、朝食を食べた後ホテルに戻るのは11時過ぎるなと思うと、さて、電車でマンハイム経由フランクフルト空港へ戻るのは飛行機の時間からちょっと難しいなと思った。そこでホテルの受付の人に、タクシーで行くとするとどれほどの時間かを聞いた。「飛行機の時間は?」「13時50分かな」「11時に出ないと」「11時30分では」「無理かも」「大丈夫さ」とか言っていると、「ホテルからシャトルタクシーを手配できますが」という。それなら早く言ってよとすぐに予約した。11時30分にホテル発で。しかし、10時に朝ごはんということは、時差の関係で多分朝の6時には目が覚めるなと思い、6時から10時までどうしたら空腹と戦えるかを考えた。荷物は起きてからまとめれば良いな、シャワーも起きてから、頭を洗おう、散歩するとさらに腹が減りそうだな、目が覚めてもベッドにいないと、など色々と想定してみた。

翌朝、6時前に目が覚めた。もうひと眠りと自分に言い聞かせ、目をつぶった。つぶったが眠れない。それでもしばしベッドに居たが、これは無理だと起き出した。荷物をまとめようと旅行鞄を取り出した。慎重に、焦るな、時間はあるのだ。と、反復しながら持ってきた荷物にマリアンヌから貰ったものなどを詰めた。まだ7時だ。そうだ体操をしよう。毎朝の体操を部屋でしてみた。簡単なものでそう体力を使わないものだ。7時15分になった。で、シャワーへ。入念に身体、頭を洗った。気持ちが良かったが、急激に空腹感が襲ってきた。がんばれ。我慢だ。下の食堂へ降りて行って何か食べようかという誘惑を断ち切りつつも水だけ飲んだ。水に手持ちの牡蠣エキスサプリを2錠口に入れた。8時になった。それからテレビを見たり、窓から表を眺めたり、鞄の中を調べたり、PCを開いたり、メールをチェックしたりした。9時45分部屋を出た。何しろギャラリーまで5分とかからないが、前の通りのお店を見てみようなど考えながら、ホテルの受付に後で戻るからと言い置いた。残念ながらどの店もまだ開店前だ。ゆっくりと景色を楽しむ振りをして通りを渡り、こういう時に限って信号は青だ。一回信号待ちをしてから渡ったが、そこはもうギャラリーだ。10時8分前。そこで撮った写真がこれだ。


「グウテンモルゲン」(ドイツ語でお早う)、とマリアンヌさんが現れた。歩いて彼女のマンションへ。聞くと、以前は郊外に住んでいたが、その郊外の家を売却し数年前にギャラリーの近くにあるマンションを購入し引っ越したという。5分でそのマンションの入り口に。
隣のしっかりとした建物を指差しながら、「このビルは元ホテルで、私たちのマンションはそのオーナーの住まいだったのよ」とマリアンヌさん。玄関は2か所あるが、まずこの玄関から入りましょうと言う。意味が良く分からなかったが、多分その方がエレベーターに近いのだろう。エレベーターは昔ながらの様式で、ゆっくりと上昇する。ロンドンのホテルにあったエレベーターを思い出した。思い出してからその話を彼女にした。二人で笑ったが、直ぐに彼女のマンションのある階に停まった。なんでもそのフロアーはすべて彼女のマンションとか。家の玄関に案内されて中へ入った。ご主人が出迎えてくれた。「グーテンモルゲン」と挨拶を交わした。見ると、右半身に麻痺が残っているようで、深くは聞かなかったが、脳梗塞の後遺症のようだった。それでもしっかりとした話方で、もっとも彼はドイツ語しか話さないようで、内容は理解できなかったが、話しぶりには違和感はなかった。まず、彼女がご主人に「家の中を案内して」と言っているようで、直ぐにご主人が私を誘ってそれぞれの部屋を案内し、玄関の奥にあるベランダというかテラスへ出た。そこでは近くの山が真近に迫り、その中腹にある古城が眺められた。その古城は、あとで聞いたのだが、ドイツのなんとかいう皇帝の居城だったとか。その他市内も一望でき眺めのいいテラスだ。ここで夕方にビールを飲むこともできそうだなと思いつつも、「フィーレンダンケ」(ドイツ語で有難う)と言った。

するとマリアンヌさんが、「用意が出来たわよ」と二人を呼ぶのであった。台所に隣接する食堂に案内され、すでに食卓には朝の料理が並べられていて、見ると、サーモン、魚のマリネ風のもの、チーズ、野菜サラダ、パンが置かれてあった。席に着くと、「珈琲?」と聞かれた。「そうですね」と答えると、続いて「たまごを料理したので」と。「たまごは実はコレステロールの関係で余り食べないので」。「そう残念ね」などと話しながら朝食が始まった。まず、サーモンの皿を取り厚いそのフィレをナイフで切り取り、自分の取り皿に置いた。この厚く切ったサーモンをサワークリームで食べると美味しいのだが、今回は何もつけずに食べた。「素晴らしいですね、美味しいですね」と繰り返す私に、「たまごは?」とマリアンヌさんが畳みかけるので、「はい、いただきます」。中くらいの鍋一杯に作られてあったそのたまご料理はスクランブル風だったが、たまご自体がおいしのだろうか、まろやかな味で、パンに良く合った。「美味しいですね」としか言えないのだが、「チーズはフランスとドイツの」と彼女が言うので、両方頂戴した。これほど食べたのは久しぶりだ。食べ終わるころ、「あ、いけないオレンジジュースを出し忘れた」と言うではないか。言いながら、直ぐ後ろにある冷蔵庫からジュースを取りだし私にくれた」。「ダンケ」、有難うとそれを飲むと爽やかな味が口の中に広がった。すると、シャンパンを飲みましょうと言う。え、シャンパンと訝っていると、シャンパンの瓶をワインクーラーから取り出し、ご主人に開けるように指示をした。ご主人は手が不自由にも拘わらず一生懸命にその瓶を開けてくれた。開けてから、私のグラスに注いてくれたのだ。皆で「EinToast」、乾杯した。その時のお二人の写真を見てください。

「Wievier uhr ist es、」何時ですかと聞くと、「11時15分です」。これは大変、直ぐにホテルの戻らねばと、今日は本当に有難うとお礼を述べ、またの再会をとお二人に別れを告げた。「道は分るでしょ」。「はい、分かります」と言いつつも、少しの不安が。私はどちらかと言うと道音痴なのだ。「帰りはこちらの玄関からよ」というのを「大丈夫、大丈夫」とマンションを出た。出たが、正直見慣れない場所だ。それでも思い当たる方角へと足を進めた。が、さらに分からなくなった。そこで、道行く人に聞いてみた。すると、あっちだというのでその方向へ行くと、どうも様子がおかしい。これは困ったと思っていると、ある道の角、交差点なのだが、横から荷物積んで手押し車を押している中年の女性がきた。なにやら東京の街角でもいそうな雰囲気の宅配便の業者風だったので、思い切ってホテル名を言いながら、「どのように行けば」と聞いた。彼女は「そこよ、私に着いてきなさい」と私を伴ってまっすぐに迷いなく進み始めた。しばらくすると、「あそこに」とホテルの姿を手で指してくれた。11時30分をかなり過ぎていた。ようやくホテルに戻ると、「車、来てます」とホテルの受付の人がいう。いそぎ部屋にもどり荷物を持って、受付で会計を済ませた。やれやれ。

実は、「やれやれ」ではなかったのだが、つまり、その車というのが確かBMWという高級車で、しかも新車のようだった。運転手はまだ若い、がもうベテランと言った雰囲気で、「空港までですね」と確認をし、「時間は、これこれ」と言いつつ車を出したのだ。12時を回っていた。やがて高速道路に入り、有名なアウトバーンらしく、いきなり加速した。かなりの速さだった。少し怖く、と言って飛行機の時間もあるのでゆっくりお願いしますともいいだせなく、恐る恐る運転席の前にある速度計を覗き見た。「180」という数字が見えた。え、え、え。なんと40分でフランクフルト空港に到着。無事に飛行機に搭乗できたことはいうまでもない。
# by chateau_briand | 2011-10-07 11:41
はいでるべるぐ(4)
そのお客さんとは、ここに来る前に寄ったソウルのYidoギャラリーで会ったキム・ヘジョンさんという韓国の陶芸家のお友達のことだった。キムさんは、日本の芸大を出てからロンドンのルパート・スパイラさんのところで修行した女性だ。その後ソウルへ戻り陶芸家として活躍されている。時々東京でも展覧会を開いている。彼女の作った中鉢を自宅でも使っているが、乳白色の肌合いと緩やかな楕円の線が見事に調和して、また、大きさも使いやすく、枝豆をゆでるとなぜかこの鉢を使ってしまう。そのキムさんとソウルで偶然会った時のこと、ハイデルベルグへ行く話になり、「それでは、是非友人へ連絡をし、この展示会へ行ってもらいます」と言われたのだ。そのご友人の方がわざわざマリアンヌさんのところに来てくれたのだ。6時半少し前にギャラリーへ行きマリアンヌさんと落ち合った。ギャラリーでしばし待っていると、そのご友人が来られた。なんと日本人だった。ロンドンでイギリス男性と結婚し、最近ハイデルベルグに引っ越したという。「キムさんから連絡があり、興味深く思っていました。主人の展覧会がロンドンで開催されていて、売れ行きがよければ展示の作品を買いたいと思います」と言ってくれた。30分ほど話をして帰って行かれた。本当に皆親切な方ばかりだ。

すると、マリアンヌさんが「旧市街を案内しますよ」と言われる。なんでも川向うにあるらしい。その川を渡る橋が名物になっているという。歩いてタクシー乗り場へ行き、並んでいるタクシーに乗った。運転手になにやら言っているのだが、勿論何を言っているか分からないが。ともかく川に沿って登っていくような感じだった。ものの5分ほどでその橋のたもとに着いた。すると、マリアンヌはその橋を渡れと言っているらしく、やがてその橋を渡り始めた。車が入るほどの大きさだが、さてどこへ行くのかと訝っていると、やがて橋を渡りきり対岸に入るところにある門の前に来た。車を降りてからその門をくぐり、そう、旧市街に入ったのだ。もう、中世に迷いこんだような感覚だ。古い、というか古そうな家並みが続いていた。道は石畳みだ。一軒、一軒、マリアンヌがその建物の由来を説明する。西暦何年と言っていたが、もう忘れてしまった。とにかく古い年代のようだった。

いろいろと未知の道を歩いていると、やがて細い小路に入った。その小路の両側はなんとレストランやバーのような飲食店が連なっていた。カフェもあり、肉やあり、パンや、ビールや・・・。楽しそうな所ばかりだった。そのうちの一軒のカフェを指して、ここの珈琲はハイデルベルグ一番だからと彼女が言う。で、その店の通りをはさんで前にある食堂風の店に入った。隣がビールやというか地ビールを造っているところだ。ともかくその店に入り、壁に沿って席を取って座った。店の女将風の女性が注文をとりにきたので、メニューを見せてもらい、そのメニューはドイツ語だったが英語も併記してあったので、豚のなんとかを注文した。飲み物はせっかくだから隣のビールを頼んだ。ビールは、小さめのグラスに泡を浮かせて持ってきた。一口飲んでみた。旨い。これは美味だ。味わい深いというか、優しい味だった。飲みやすいので直ぐに一杯を開けてしまった。やがて料理が運ばれてきた。豚料理だ。子供をあやしながら今度は若女将が「ビール、もう一杯どうですか」と聞くので、ちょっとマリアンヌを見ながら「ダンケ」(ドイツ語の有難う)。マリアンヌは初めからグラスで白ワインを飲んでいた。

豚はとても美味しかった。やわらかな肉で、口の中で味が広がるような感じだ。ソースもおとなしくて肉の味を妨げることはなかった。ただ、付け合わせのラビオリのような小麦粉を練ったものはいただけなかった。量が多いのだ。それにちょっと味が塩からいようだ。
ともかく肉は全部食べられたが、その付け合わせはいくら食べても減らないのだ。む、む残念。

食べ終わってから、「珈琲を飲もう」とマリアンヌがそのさっきの店に案内してくれた。エスプレッソを頼み、カウンターの前に座った。渋い、黒い、苦みある液体に砂糖をいれて飲んだ。香りはどうだったか、余り記憶にない。カウンターの向こうの若い男性に話しかけてみた。大学生でアルバイトをしているという。そうか、どうりで活きがいい。しばしハイデルベルグについて話をしてから、今度は私が払いますと言って会計をすませた。何しろ、さっきはマリアンヌにご馳走になったしと。その珈琲店を出てからが大旅行だった。マリアンヌがその旧市街の説明をさらに進めるのだ。店から歩きながら、一軒、一軒の店を説明するのだ。詳しい。それは地元の人だからか。30分以上歩いただろうか、見慣れた場所に出た。なんとそこはさっきタクシーを乗った所だ。一回りしたのだった。「マリアンヌさん、今日は有難う。楽しかったです。ここからは道は私でもわかりますから一人で帰りますので」というと、「明日の朝は何時に出発するのですか」。「午前中にホテルを出て、フランクフルト空港へ行きます」。「それでは、朝食を私の家でどうですか」。「有難うございます、喜んで」。「朝10時にギャラリーで待ち合わせしましょう」。「おやすみなさい」と言って別れた。(つづく)
# by chateau_briand | 2011-10-06 11:25
ハイデルベルグ(3)
実は、このスピーチでは好評を博したのだが、問題もあった。スピーチの後、多くのかたらドイツ語で質問されたのだ。「xxxxx」と聞かれてもお答えできないのだ。英語でそのことを説明して納得いただいたのだ。本来は、スピーチのあとで「ドイツ語で質問をしないでください」と結ぶつもりであったが忘れてしまったのだ。それでも発音が素晴らしいとか内容のほとんどは理解出来たとか、本当にドイツの人は優しい。

開会式も無事終わり、隣のイタリアレストランでお昼を食べた。ギャラリーのお手伝いをされている女性が案内をしてくれたが、お客様夫婦と開会式で解説をされた美術館の男性学芸員,写真の左側、の方も一緒で6名だった。席は内か外かと聞かれたので、「少し暑いので外のほうがいいので」と返事をした。実際、その日は9月に入ったというのにまるで夏のような日差しがあり蒸し暑さがあった。その上にギャラリーもそうだが、空調がないところが多いらしく、そのレストランも冷房が入っていない様子なのだ。これは表で食べたほうが快適ではないかと思った。公園を臨むテラスに席を取り、雑談をしているとドイツ人らしい男性が、しかしイタリアンらしく注文を取りに来た。今日の特別メニューを説明したが、多分パスタがよいのではと私は、「魚介類のパスタと白ワイン」を頼んだ。昼間のテラスで食べるパスタには白が似合うとか何とか云い訳をしたが。

で、案内をしてくれた女性はフランス人で、ドイツの人と結婚しこの地に来たという。ギャラリーで私がお客さんとフランス語を話しているのを聞いていたらしく、「貴方はフランス語を話すのでしょう」という。「そうですね」とか言いながら、フランス語でよもや話をした。ハイデルベルグはフランス国境とそう遠くなく、行き来があるようだ。そういえば、私にドイツ語を教えてくれた東京のドイツ人はこの近くの出で、姉上がフランス人と一緒になって隣のフランスにある町に暮らしていると言っていたのを思い出した。昔から独仏国境のある地域は領有権のいざこざが絶えないところだったというのも昔学校で教わったことがあった。確かに、国境線というのは人為的に付けられたもので、むかしから隣村であれば行ったり来たりしていたのだろうか。

ところで、話をしていてもいっこうに料理が来ない。一度に6人もの調理をするのは大変なのだろうか。一人ひとり注文が違うので仕方ないかとか考え始めていると、まるでそれを察したがごとくに料理が運ばれた。

パスタは美味しかった。白ワインも良かった。量も適量だった。食べながら、話しながら、飲みながら楽しい時を過ごした。「マリアンヌさんは来ないのかしら」と私が聞くと、昼はいつお客が来るかわからないのでいつもギャラリーにて待機しているとのこと、本当に仕事に徹する厳しい一面もあるのだ。素晴らしい。やがて食べ終わり、珈琲はギャラリーで飲みましょうと、皆で隣へと移動した。隣がレストランとは本当にあるべき立地ではないか。酉福も近くにフレンチが2軒あるが。ギャラリーに戻り、珈琲を頂戴した。チョコレートもあるというので一緒に。このギャラリーには小さながらもキッチンがある。これもなかなかのものだ。椅子に座り、車座になったように、皆でおしゃべりを楽しんだ。やがて私は時差もあり眠くなったのでいったんホテルへ戻ると言ってその場を離れた。展示作品の売れ行きには少し関心があったので、戻る前に売れ行きを確認した。4点売れていた。ちょっと安心しホテルへ向かった。このような時にホテルが近いと助かる。ホテルに戻り昼寝をすることにした。参考までにホテルはDER EUROPÄISCHE HOF、ハイデルベルグの老舗だ。

昼寝をしているとマリアンヌから電話がかかってきた。今晩一緒に夕食をというのと、ギャラリーで6時30分に待ち合わせようという。私が帰ったあと、私を訪ねてお客がきたのでという。6時30分にギャラリーにまた来るからとのことだった。(つづく)
# by chateau_briand | 2011-10-04 13:27
ハイデルベルグ(2)
ところで、何しにハイデルベルグまで行ったのかというと、この地にある「ギャラリー・ヘラー」で、酉福作家により展覧会が開催されるからだ。去年もここで展示会をしたが、大変に好評で、今年もということで開かれたのだ。酉福から4人の作家を選び20点ほど出展した。去年は、私を含めてだれも酉福から出席出来なかったので、今年こそ来て欲しいとの要望を頂戴し、私が代表で開会式に参加することにしたのだった。

いよいよ展覧会が始まる。酉福から4人の作家を選定した。横浜の青磁作家、高垣篤さん、丹波唐陶の加古勝己さん、金沢の色絵、中村卓夫さん、名古屋の現代陶を作る今田陽子さんだ。いずれも新進気鋭の作家たち、酉福のこれからを代表する方々ばかり。この会は去年に引き続き2回目となる。前回は、常滑の山田常山(4代)さん、鳥取の前田昭博さん、土岐の加藤康景さんに九州嬉野の小野次郎さんだった。小野次郎さんは、展覧会後に急逝された。その葬儀の日にハイデルベルグから一点売れたとの報が届いたのを覚えている。本当に残念だった。

展覧会の開会式は、お昼からで、ドイツ各地からお客さんが集まってきた。普通は夕刻にこうした会を催すのだが、各地から集まりやすいようにと昼間の会にしたとマリアンヌさんが説明してくれた。なるほど、なるほど。「こんにちわ」という声に振り向くとクルーガーさん夫妻だった。「久しぶりです」。酉福には時々来廊されていた。また、ドイツから電話で注文を頂戴したこともあった。懐かしい方々にお会いできるのも楽しいひと時だ。旧交を温めながら、今回の展示品についてもさりげなくお話をした。出過ぎてはいけないと自重した。何しろここはマリアンヌさんのお店だ。やがて皆が揃ったのだろう、マリアンヌさんがこれから始めますとまず、私が紹介された。私は、「リーベマリアンヌ、セーアゲヘルテゲステ」とドイツ語であいさつを始めた。「Es ist mir eine Ehre, die Chance zu haben, in einer so wundervollen Gallerie, japanische Keramik vorzustellen. Ich möchte hiermit Marianne herzlich danken, dass Sie uns das zweite mal Gelegenheit dazu gibt. Mein Name ist Tom Aoyama und ich leite die Gallerie Yufuku, Tokyo seit zwanzig Jahren.」

この中で私は、ギャラリー店主のマリアンヌさんと出会った経緯をご説明し、彼女の審美眼と私のが同じだと思い、この展示会を開くことにしたことなどを紹介した。幸い、このスピーチは好評であったようだ。大きな拍手を頂戴した。この展示会のことは地元の新聞にも紹介された。
(つづく)

# by chateau_briand | 2011-10-01 17:11
ハイデルベルグ
台風12号が日本列島を襲う9月3日に成田空港からドイツのフランクフルト行きの飛行機に乗った。30分遅れの出発だ。だったが、搭乗すると「空港内の荷物管理システムが故障したので後2時間ほど待機します」との連絡があった。ドアを閉める許可が下りないとのことで湿気と熱気が外から入り込み機内はうだるような暑さだ。狭い機内に入る前に言ってもらいたいのに、これもいたしかたないか。それでも気を取り直し待っている間にと映画を見た。「Midnight in Paris」だ。ウッディアレン監督のパリへの思いを映画にしたのだろうか、20年代の良き時代のパリを描いていて面白かった。それにしても暑い。喉が渇く。これでは全員熱中症か。それにお腹も減ってきた。なにしろ11時30分発だったので昼を食べずに乗った。それがもう2時ごろだ。昔のことだが、パリの空港でフランスの飛行機に乗ったことがあった。滑走路のところで停まり、そのまま動けなくなったことが。その時は乗務員が直ぐに食事の支度をし、飛ぶ前に食べ終わってしまった。終わってから、ようやく動き出しということがあったことを思い出した。今度は、これはちょっと事情が違うから無理だろうと思ってはいた。思ってはいたが、やはり空腹感がひしひしと打ち寄せてきた。厄介だな、と思いながらもひたすら我慢していた。ようやく放送があり、荷物も積みこめたという。しばらくしてから滑走路を飛び立った。やれやれ。

フランクフルトには予定より3時間ほど遅れて着いた。空港駅から列車に乗りマンハイムで乗り換えてからハイデルベルグへ。一時間ほどでハイデルベルグ駅に着いた。すでに日は暮れていた。駅前からタクシーに乗りホテルへ。「日本では福島大変だったね」と運転手に聞かれた。「ドイツは廃止にしたぜ」とか色々と聞かれる内に目指すホテルに着き、荷物を持ってチェックインした。もう10時を過ぎていた。過ぎてはいたが、ホテル脇のレストランをちらっと横目で見ると皆食事を楽しんでいた。土曜日の夜ということだろうか。受付を済ませ部屋へと上がった。211号室。古い木造の建物らしく、廊下を歩くと音が鳴った。部屋はシングルで、部屋の真ん中にベッドが置かれ右隅に机が一つ、その横にテレビがあった。ともかく長い一日で、汗もかき、直ぐにバスルームに行きシャワーを浴びることにした。バスタブに入り、シャワーを出し、頭から湯を浴びた。やれやれと初めてのハイデルベルグの夜を迎えたのであった。ハイデルベルグといっても夜に這い出ることはない。

朝は早く目覚めた。案内を見ると朝食は6時30分からとなっている。腹も減っているので下の食堂へと降りて行った。すでに何人かのお客が朝食を取っていた。係の女性に案内されて席に着き、ジュースと紅茶を頼み、ブッフェの料理を取りに。野菜は少ないが、ソーセージ、ハム、卵料理、チーズ、サーモン、果物などが並べられていた。朝飯には目がない。なんでも食べたい方なので、ここの朝食には内心「しめた」と思った。あれこれ取った皿を持って席に戻り食べ始めた。「旨い」。ジュースもなかなかの味だ。紅茶も申し分ないほど。一人で食べる味気なさはあるが、この料理には満足した。

食べ終わり、部屋に戻り、マリアンヌさんのギャラリーへ行く準備をした。ギャラリーまでは徒歩5分ほどと聞いていたので焦る必要はない。それでも気が急くので早めに支度をととのえロビーへと降りたのだった。受付でギャラリーへの行き方を尋ねると、マリアンヌさんはここに来ていますという。「何処に」と聞くと食堂ですとのこと。食堂へ向かうと係の女性が直ぐにマリアンヌさんを連れてきた。「グウテンモルゲン」、お早うございますと習い覚えたドイツ語を使ってみた。彼女は英語も得意だが、勿論ドイツ語で返事をしてくれた。再会のあいさつやら展覧会開催のお礼など述べつつ、二人でホテルを出てギャラリーへと向かった。

ホテルの前の通り、そこはちょっとした並木道だが、その通りの向い側に小公園があり、その奥にある平屋の建物がギャラリーだ。
その通りの横断歩道を向かい側へと渡り、公園の中をギャラリーへと歩いた。まだまだ暑さの残る9月初めだが、そっと吹く風に秋の気配が感じられる。ギャラリーは公園に向かって大きくガラス窓があり、そのガラス窓の面したところがテラスになっている。その横には木のテーブルと椅子が置かれているが、それは隣のレストランの外の席だという。聞けばイタリアンとか、機会有れば食べてみたいものだ、とか考えながら横にあるやはりガラスのはいった扉を開け、ギャラリー内へ。高い天井に公園に面した窓。ゆったりと並べられた作品たち。置かれた作品はどれも、そこの空間に馴染んだ様子で、澄まし顔で可愛く鎮座していた。久しぶりに見る酉福の子供たちともいえる作品に出合え嬉しい限りであった。(つづく)
# by chateau_briand | 2011-09-28 20:00
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