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小布施へ
小布施というと“栗”で知られているところだ。子供のころは、おやつというと秋は栗だった。蒸かした栗を半分に割り匙ですくう。ほのかに甘い栗の実に安らぎを感じたのはもう随分と昔のことのようだ。だから小布施への旅に誘われるとすぐに行きますと答えていた。名前は知っていたが、この地へ行ったことはなかった。

東京から新幹線で長野へ。長野から長野電鉄に乗り換え特急で20分ほど。小布施の駅は小さく、村の駅という感じだった。小布施へ_f0198833_20181379.jpg初めは、歩いて旅館まで行く予定だったが、余りにも良い天気で太陽を浴びながら歩くことは躊躇させられ、駅頭に待つタクシーに乗った。「xxxxxx」宿の名前を告げると「分かった」というような様子が見てとれたので少し安心した。知らないところで道に迷うことは避けたかった。2,3分走ると広場のようなところに出て車が止まった。そこが今日の宿だった。正面のガラス扉を開けて宿の係が「お待ちしておりました」と出てきた。藍色の袢纏のようなものを身に着けた若者だった。荷物を預け中へ。そこが受付になっているらしく、その若者に少し早く着いたので、「荷物を預けて街中へ行こうと思うが」、と聞くと「部屋は出来ていますので」。すぐに部屋へと案内された。

部屋は、入り口の2階部分にあり、なんでも香港のデザイナーが設計したとか。有名な新宿にあるハイアットホテルもそのデザイナーの作品という。部屋は壁一面に本棚が設えてあり、和洋書が並んでいた。知的な印象を与えると同時に何か自分の家の書斎風にも感じられて、初めてきたような気がしなかった。旅館の係の人が一通り部屋の使い方と料理について説明してくれた。食事は外の料理家で食べるらしい。もっとも同じ会社の経営なので、鍵を見せて会計は一括でしてくれる。イタリア料理店と和食の店があるらしい。聞くと朝食はイタリア料理店だそうで、それでは和風の店へ行こうと決めた。夕食まで時間があるので街を散策することにした。

この街にはいくつか美術館がある。葛飾北斎の作品を展示する「北斎館」、高井鴻山の記念館、小布施ミュージアムには中島千波館があるというが、ネットで探すと「現代中国美術館」もあるようだ。北斎館は明日の朝一番で行くことにしたのは、宿の正面にその館があるからで、まずは高井鴻山(たかいこうざん)記念館へ向かった。高井鴻山は、19世紀半ばから明治維新のころの人で、この小布施の豪商で有名だ。なんでも北斎をこの地に招き屋台(山車)の天井に絵を書かせたと言う。社会還元にも力を注ぎ、維新には幕府へも朝廷へも資金援助をしたらしい。文人でもあり、書画を良くした。素晴らしい軸を見せてもらった。それにしても、ここに来るまで鴻山のことについては全く知らなかったが、来てみると彼が佐久間象山や九条家とも関係があったことが記念館の解説にあり、そうか私とも縁があったのだと不思議になった。佐久間象山については、学生時代に彼の事を知り、それまで遊び呆けていた自分を反省し、勉学へと誘ってくれたことが思い出される。九条さんは、仕事を始めてすぐの若いころに自然気胸になり、入院したのがその九条さんが設立された病院であった。知り合いが入院しているというので見舞いに行き、前の晩から胸が痛むので、良い機会とその病院長に聞いてみたのだった。「青山さん、そこを動かないで、動くと死にますよ」と院長に言われ、その病院にそのまま入院したことを思い出された。ほんとうに不思議な話だ。

それでいよいよというか興味があったので、ネットで見ていた現代中国美術館を見に行った。ところが建物は閉まったままのようで、もうかなり時間がたっている様子だった。はて、どうしたのかと思いながら、表のガラス扉から中を覗くと、どうやら夜逃げしたような状態が見てとれた。玄関脇には兵馬俑らしきものが置かれていた。「夏草や 兵どもの 夢の跡」など思い出してしまった。そこで一句。

夢の跡 秋風吹きて 傭残る   撫利庵

悲劇は喜劇に通じる。この廃墟の場面だけは見たくなかった。きっと、いろいろなことが起きては消えたのだろうか。(了)
by chateau_briand | 2013-09-26 12:02
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