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李白
前回、李白の一節を引用したが、実は、この詩は近鉄四日市駅前にある「都ホテル」の2階にある中華料理店の食卓用紙敷に印刷されていた。この中華料理店は四川と言う名前で、四川料理を出す。澄懐堂美術館の理事会に出た時に昼飯を食べたのだが、この紙敷が気になっていた。何回かこの店で食事をしたが、お店の人に「この紙を一枚貰いたいのだが」と聞くと「喜んで」と早速新品を一枚持って来てくれた。有難い。で、この一枚を家に持ち帰えると、この詩を書にしたためようと思った。全部ではない。その中で先に引用した4句を書こうと思った。お酒を飲む度にこの一節が頭に浮かぶ。将にお酒の朋とも言うべき句だ。書いたものをここにご紹介しよう。文徴明風の草書で。文徴明は端正な文体だが、お酒を飲んで書いた様子が覗えない。多分、書いてから飲んだのだろう。私は、飲んでから書きたい。
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# by chateau_briand | 2013-07-05 10:50
小松空港(つづき 了)
山中温泉から東京に帰ってすぐに、金沢へ行く用事が出来た。勿論、羽田から飛行機で小松空港へ。小松空港からバスにて金沢駅まで約50分。金沢では、著名な漆作家を訪ねた。漆の造形作家で大きな作品をつくる人だ。堂々とした姿の作品は、最近東京の近代美術館工芸館に展示された。あまりに大きく他を圧倒する迫力で、逆にそこにあることに気がつかない人も多かったのでは。つまり、これまでのこうした漆作品は小柄なものが大半なので、まさかそこに漆作品が展示されているとは想定していない人もあったのでは。さらにはそうした造形作品故に、係の人も照明の当て方に慣れていなかったのではと思えた。ここまで大きな漆があるとは。

すっかりとこの大きさを堪能したからか、この作家に会いに行く息子に同行したのだ。「同行した」と いうと「どをこした」と聞こえなくもないが、これはほんの冗談。

漆の後は、金沢市内にある有名な料理家を訪れた。もちろんこの漆作家もお誘いした。金沢に来るたびにここの料理を味あうのを楽しみにしている。和の味に洋の趣、味も良いが器との調和も素晴らしい。いつ食べても満足する。この味を表現することが難しいく。筆舌に耐え難い(?)。ただ、美味しいとしかいえない。それと、やはりお酒の味だろうか。ここで飲む酒の味は格別で、いつも酔うことが待ち遠しい。飲むほどにお酒の味が深くかんじられるようになる。酔うことが素晴らしい。で、李白の一節を思い出した。

     人生得意須尽歓 莫使金樽空対月 天生我材必有用 千金散尽還復来

何しにこの地に来たのか、今では忘れてしまったほどだ(微笑)。完了
# by chateau_briand | 2013-07-03 16:41
小松空港(つづき)
山中温泉の湯を楽しんだが、再度、このお湯に浸れるとは。福井県の武生には、このブログでも既に書いたが、越前の陶芸家がいる。その陶芸家を訪ねる時には、新幹線で米原まで行き、そこで北陸線に乗り換え、特急で約1時間。で、地図を良く見ると、その武生は小松空港に近いということが分かった。そうだ、小松空港まで行こう。小松駅から北陸線の特急に乗ればいいのだ。ということは、その小松空港から30分で山中温泉ということだから、武生へ行けば、帰りに山中へも寄れると思った。なんだか嬉しい。

朝一番のANAで羽田から小松空港へ。1時間だ。タクシーで小松駅へ。15分。特急の待ち合わせがあるが、小松駅から武生まで1時間。新幹線経由よりも時間がかからない。ただ、経費はやはり高めか。

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武生駅で陶芸家に迎えられ、車で20分、工房に着いた。その日は丁度良い天気で暑いほどだった。が、身体は軽い。長時間電車にのるよりも楽のような気もするが。工房に並べられた新作のでき具合を見た。なかなかの出来栄えだ。まだ、この手の作品は作り始めた場からだと言うが、これからが楽しみでもある。
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打合せを済ませ、昼に越前そばを賞味。 駅まで送ってもらうと思っていたが、そのまま車で山中温泉まで送りますという。その陶芸家も、まだこの山中温泉の宿には行ったことがなく、興味津々のようだった。

宿に着き、ご主人が現れ、越前の陶芸家と紹介すると、「一風呂どうですか」と進められた。少しためらっていたようだが、その陶芸家は風呂に案内され、その湯を堪能し、また車で武生へと戻って行った。後で聞くと、「お湯、素晴らしですね。」。勿論、私も風呂と食を楽しんだことはいうまでもない。

実は、この2度目の山中温泉後、さらにもう一度小松空港のお世話になるとは。(つづく)
# by chateau_briand | 2013-06-15 12:10
小松空港(つづき)
食前の飲物は、今回の旅を企画された方のご友人で、この宿の常連さんの一人からの差し入れのシャンパンが用意されていた。誰もが認める味のあるもので乾杯。「うーん、なかなか」と一同感激したことはいうまでもない。何しろ、良い湯に浸り、山の冷気に触れ、日常を離れた宿の一夕。美味しくないわけがない。一杯飲みほし、さて次の飲物をと聞かれ、やはり、日本海側の美酒を飲むべく宿の方に聞き、純米を持ってきてもらった。今晩の献立表もあったので、それに併せて頂戴出来ればと考えていた。なんといっても山中は漆が有名なところでもあるので、漆の盃を想定していた。残念ながら、この思いは空振りに終わった。次の機会には是非と宿の方にも頼んでおいたが。

日本料理の、こうした宿の料理というのは、大体が型どおりに進む。先付がまず置かれていた。何品かがその皿に盛られていた。お造り、焼き物、揚げもの、酢のもの、そして、ご飯となる。勿論、最期に果物。どれも美味しかった。が、今となっては印象に残っていない。なぜかと言うと、ちょっと品数が多すぎて食べきれなかったからだ。最期に蟹がでたが、残してしまった。残念。やはり、量を考えることも大切ではないだろうか。印象に残っているのは、翌朝の“たまご”だった。出し巻き卵は秀逸、焼き立てを食べた。ふんわりと焼けていて、たまごの味も素晴らしい。生卵も食べた。白いご飯に黄身。素晴らしかった。私は、自分でも料理を作ることが好きなので、こうした料理人の作ったものには大いに興味がある。器、食材、味付け、料理法、盛り付け。どれも勉強になる。しかし、そうしたことも大事だが、やはり、料理のもっとも重要なところは、私にとって、何を食べたかではなく、誰と食べた、ということではないだろうか。それと、やはり、「余韻」だ。食べた後にどのような余韻が残るのか、その残る部分を大事にしたい。

実は、この宿には一ヶ月後に再訪した。なぜか。それは「つづき」にて。つづく
# by chateau_briand | 2013-06-08 13:36
小松空港(つづき)
風呂といえば、誰もいない時にはそれこそ素っ裸で入るが、そうではない時には不思議と前を隠す様に入ることが多い。私も昔はそうだった。が、この歳になると恥ずかしさもあまり感じなくなるようで、いつもそのままにしている。タオルを使うのも面倒くさいし。だからなお気持ち良い。爽快な気分だ。前にも書いたが、アメリカのディーラーの親父たちと来た時には、勿論皆で一緒に風呂に入ったが、前を隠す人が多かったように覚えている。ドイツのバデンバーデンで風呂に入った時だが、そこは混浴で水着を付けないで入るところだったが、見ると、好きで見ているわけではないが、隠す人もいれば隠さない人もいたようだった。混浴といえば、青森の八甲田山にあるスカユ温泉では、女性は大体隠さずに、男性は隠していたようだ。民族や地域で差があるようだが、フランス人は前を隠さず胸を隠すようだ。というのも、以前フランスのご婦人を妻に迎えた人たちと温泉に行った時にこの話になり、なるほどと感心したことを思い出した。

人前で裸になるということは余程のことがない限りあまり無いが、それがそうでもないらしい。らしいというのは私のことではなく、昔、大変お世話になった大先生から聞いた話だが、その先生の知り合いの青年があるお嬢さんを好きになり、是非嫁にと思い実家を訪ねた時のこと。先方から「どのように自分の娘を幸せにできるのか」と尋ねられ、彼は、直ちに服を脱ぎ裸になり、先方の親に「見てください、私はこれで彼女を幸せにします」といったとか。勿論、その後幸せな結婚生活をおくったことはいうまでもないが。

少し話がそれたが、風呂も入ったし、ゆっくりと休んだら、お腹が減ってきた。いよいよ夕食の時間だ。「6時に広間で」と言われていた。ここでは食事は食事用の部屋が用意されているのだ。今夜は、招かれていたので4人で食卓を囲むこととなった。人数が多くなると、夕食用の小部屋では狭いので広間になったのだろうと思った。6時になって仲居さんが迎えに来てくれた。案内され2階の広間へ。

広間といっても小さな旅館なので少し広めの部屋というところだろうか。そこに食卓がしつらえてあり、椅子が用意されていた。これは楽だ。せっかくの料理も脚を気にしていると喉も通らない。特にご婦人方には気の毒なことがある。実は、ここのご主人というのは、地元では有名な方だそうで、先代から後を継いだ時に、それまでの大きな旅館から小さな宿へと業態を変更させたという。小さな宿は、いまではそれこそ全国各地に点在するが、そのころ、20年ほど前はこの宿が先達だったのだ。その時に、料理を団体客優先から個人客に合わせるようにしたとか、そのきっかけを作ったのがこの料理人との出会いだった。残念ながら彼はもう他界されていたが、その伝統は受け継がれていると言う。楽しみだ。というような話は、実は食事が始まってから直接主人から聞いたのだ。何処で聞いたのかと言うと、その広間に主人が現れて、こうした話をされた。大変面白い、かつ有意義な話ではあるが、広間にしたという意味がこういうところにあったのだろうか(笑)。つづく
# by chateau_briand | 2013-06-06 14:04